Nao-Segawa|ハンドメイドジュリー

ジュエリーの生まれる現場をノンフィクションでお届けいたします。東京23区の片隅にたたずみ、一人黙々と作っています。

「アルジャーノンに花束を」【後編】

経過報告:02

こんばんわ。ナオです。

前回から引き続き、「アルジャーノンに花束を」をちびちびと読み続けて先日ようやく読了となりました。

移動時間にしか本を開かなかったので随分と時間が掛かってしまいました。

動画で制作しているペンダントもクリスマス商戦の時期だからか、工場からいつもよりうんと長めの納期を頂きまして、忘れたころに納品されるという、もはやサプライズに近い進捗状況となっております。工場のおじさまがサンタクロースに見えました。ほんとうにありがとうございます。

といっても私がいつも頼まない加工を追加したという事が、全ての原因となっている感は否めませんので上記の発言に他意はございません。因果応報、自業自得。

 

さて、前回の報告書を読み返してみると随分と読むに堪えない文章となっていました。

これは本当に私が書いたのでしょうか。


後半の「やまぴーやまぴー」と書き殴っているあたりは、幾分か切迫感があり当時の心情を想像せずにはいられません。

 

あらすじ

とりあえず内容をご存じない方のために「アルジャーノンに花束を」の概要について触れておきましょう。

以下、ネタバレを含みます。

 

32歳になっても幼児の知能しか持たないチャーリイ・ゴードンは周りから虐げられていることすら気づかずに過ごしていた。しかし本人は賢くなって周りの友人たちと仲良くなりたいと純粋に願っていた。そんなある日、チャーリイは大学で頭が良くなる実験の被験者に選ばれた。その実験はまだ人間への処置が行われておらず、唯一の成功例はアルジャーノンと名付けられた白ネズミだけだった。

幼少から知能に対する強い憧れのあったチャーリイは実験への参加を熱望し、手術を受ける事となる。無事に成功したものの、徐々に発現する知能の高まりと反比例するように自身の今まで置かれていた不遇を知り愕然とする。実験は天才的な頭脳だけでなく、今まで感じることのなかった様々な感情をチャーリイに与えた。

さらには、実験の成功例の先輩であったアルジャーノンにも変化の兆しが見え始める。

この実験は高い知能を長期間維持することが難題とされていたが、今回の実験はその問題を解決するのではなく遅らせていただけだったと判明する。

徐々に落ちていく知能、強まる孤独感の中でチャーリイの見たものは。

人生の哀歓を、緻密に描き出した感動SF小説。

1966年度ネピュラ賞長編部門受賞作。

 意訳もあるかもしれませんが、ざっとこのような内容となっております。

 

文体の特徴

この小説の特徴として、描かれる視点が3人称などではなく、実験の経過報告書という手記の形をとっている点があげられます。

知能の移り変わりを文体の表現で試みるというのは当時は画期的だったのではないかと思います。

どういう事かと申しますと例えば、手術を受ける前は誤字脱字が多く句読点がなく簡単な表現ばかりでしたが、術後は徐々に単語も増え、思考が明瞭となっていきます。

一例をあげると下記の様な具合です。

平和時における武器として軍事的封鎖を用いることの道徳的側面が、私を悩ましていた。ある上院議員の発言、つまりわれわれに敵対している弱小国に対して、第一次及び第二次世界大戦において採用された航海証明書管理の強化、輸出入禁止品目表の作成などの戦略を用いはじめているという発言についてどう思うか教授の意見を訊いてみた。-チャーリイ・ゴードン-

あーとてもたいせつなはなしですよねー(棒読み)

頭が良いという事は痛いほどとてもわかりました。

また、文体だけでなく一人称も「ぼく」から「私」にかわり、物語の重要な登場人物であるアリス・キニアンの呼び方も「キニアンせんせい」から「アリス」に変わっていきます。

ちなみにアリス・キニアンはチャーリイの通う精神遅滞者の学習クラスの教師です。

 

感想

チャーリイの知能が高まるにつれて、外の世界が加速度的に広がっていきますが、それ以上に心の内面や過去の記憶との対面、考察に焦点が当てられています。周りを取り巻く環境の変化より、チャーリイの思考の構築、心の機微に重きを置いて描いている物語でした。

 

自分の運命を悟ったチャーリイの描写や、将来に収容されるであろう施設に前もって訪れるシーンはもはや、どういった心情なのか想像するに余りあります。経過報告書の形式なので、章ごとに日付が最初に入るのですが時間の流れだけが淡々と過ぎ去っていき焦燥感が募ります。全体を通して9か月足らずの出来事なんですよね。

 

「アルジャーノンに花束を」は最後の経過報告の終わりに”ついしん。どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやてください”と綴られている部分が有名なようですが、私が最も印象的だった部分は同じ最後の日付の冒頭部分です。

チャーリイの知能が退化して、突然に以前通っていた学習クラス(キニアン先生が担当している)に登校して、キニアン先生に勉強しにきたのだと言ったところです。

文章としては一文ですが、今までキニアン先生と積み上げてきた関係性がまっさらになってしまった事を、本人は気づかずに報告書として記述しています。

キニアン先生が泣いて教室から出て行ってしまい、一瞬だけ今までの一連の流れを思い出したチャーリイはこういった悲しい出来事を起こさないために、自ら施設(外界から隔離されている)へと赴くのでした。

 

 前述したアルジャーノンに花束をそなえて欲しいと要望する場面よりも、このキニアン先生との関係性が印象的でしたが、またしばらく時間をおいて読んでみたら印象や気になる場所がガラッと変わるのかもしれません。

結局のところ、チャーリイは手術をした方が幸せだったのでしょうか。

そして周りの人間はチャーリイが手術をした方が幸せだったのでしょうか。

この物語が幸福の価値とは何かを、定義して指し示しているとは思えません。

しかしながら、幸福とは何かと自問させられる本でした。

自答を出すにはしばらく時間が掛かるかもしれません。

沢山の幸福が指の合間からすり抜けて、失った後にさえなお残る幸福だった欠片たちを慈しめるのか。環境や状況に左右されない幸せの価値観を探すきっかけとして人生の中で幾度も読み返すべき物語なのだと感じました。

 

などと滔々と語って参りましたが、当方としましては当初「読書の秋だね♪」なんて心持ちで11月には終了している予定の案件でございました。

直接的な関係はないのですが、制作するスケジュールもずれ込んでまして、ワタクシとしましては当面の間は本当の幸福について考えるより、制作スケジュールの見直しに時間を割り当てる方針でございます。

読書自体はしているのですが、感想を書く前提となるとついつい肩肘を張って付箋を片手に読み進めるということになりました。

読んだ感想を言語化するというのは、テクニック的な部分もあると思うのである程度は徐々に上達していうものかと思います。ですのでまたその内にチャレンジしてみようかと考えています。

 

ご静聴ありがとうございました。

 

Wikipedia ↓

アルジャーノンに花束を

 

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